Kyrie†Eleison

Prestory

主よ 憐れみ給え
キリスト 憐れみ給え
主よ 憐れみ給え



ゴーン  ゴーン  ゴーン……
ダダダダダ……っ!

鐘の音を合図にダッシュで玄関を出て
今日も今日とて大学へ向かうべく自転車[チャリ]のペダルへと足をかける。
辺りに鳴り響く、下宿の近所にある寺の鐘は
さながら時報か何かのような正確さでもって
辺り一帯に時を知らせている。

そう。俺の下宿ってのは寺の近くにあったりする。
が、その寺へと足を踏み入れた事は、進学の都合上こっちへと引っ越して以来ただの一度だってない。
と言うか、俺という人間は生まれてこの方霊場巡りもした事がなければ、ミサなんてモノにも行った事がない。
まあ正月に実家へ帰省した時に近所の神社で初詣……てのが関の山だ。
あとは精々、解剖学実習があった後で御遺体を献体して下さった人達の慰霊祭に出たくらいだろうか。

要するに何が言いたいかって言うと、俺ってのはそのくらい不信心な奴だっていう事だ。

うちの実家の近所には教会っていうヤツがあるんだが……はっきり言って近所迷惑だとすら思った事は一度や二度の話じゃねえ。詳しい事は門外漢の俺にゃ分からねえが、ありゃ公民館で下手なカラオケ唄ってるオッサン達と五十歩百歩…………
ドングリの背比べってなモンだ。
その事実を鑑みた上で考えてみると、これでも下宿の近所の寺というのはまだ随分とマシな方なのだ。
少なくとも時報のような鐘以外の騒音を外へと漏らさない辺りは、随分と立派な心掛けだって思う。

ミーンミンミンミン………

「……あー、くそ………」

今日も今日とて聞こえてくるセミの大合唱。音だけで暑いって感じになっちまいそうだ。
そりゃ思わず悪態だってつきたくもなる。寝坊した所為で天気予報なんぞ見る暇はなかったが、今日も多分30℃は余裕で超えるだろう。
もしかすると35℃を超える猛暑日ってヤツになるのかもしれない。

嫌でも耳に入る蝉の音が、余計に夏の暑さを実感させる。
「今日も一日暑くなりそうだ……」
深々とため息をつきつつ、俺はチャリのペダルを漕いだ。

大学講義棟の近くにある駐輪所にチャリを止めて、積んでいたバッグを手に取る。
「よっと」
大多数の荷物をロッカーへと置いているから、持ってる荷物の量自体は大したことはないのだが、その一つ一つが結構重い。
地方にある此処の大学に入って既に5年目の夏になるが、基礎医学のカリキュラムは既に終わらせて臨床医学の勉強を行っている。今は実習のまっただ中で、来年からは本格的に国試……医師国家試験の勉強をする、というのが俺らの学年の医学生というものだった。

バサッ………

更衣室に着くと俺は、バッグに入っていたダブルの臨床用白衣を羽織って、実習の開始に備えた。
「よっと……」
ロッカーの中から、一冊のハンドブックを取り出す。
この状況でいちいち分厚い医学書を持ち運ぶなんて馬鹿はしない。
何せ医学書というブツは、重いわ高いわで………

違う学部の大学に行ってたダチが言うには教科書一冊がン千円もするとかで、電話の向こうで愚痴っていたが…………
俺に言わせりゃんなモン、まだまだ甘い。こちとら医学書一冊だけで、万札が軽く一枚は飛ぶ世界なのだ。
しかも中には、原書を指定してくる先生もいる訳で………
一体全体何が悲しゅうてブ厚い英語のテキストを何冊も買わにゃいかんのだ?と専門に入った当初は心の中で盛大に嘆いたもんだが、勉強を続けていくうちにそれを当然だと思うようになった自分[てめえ]がいた。
何せ訳本というヤツは、原書の倍以上の値段がする。しかも誤訳が結構あったりするもんだから、全部が全部をアテにしちゃならない。
もいっちょ言うと、医学の世界ってのは日進月歩の進化を遂げてる世界でもあるから、訳本が出る頃にはもうその情報自体が古くなっている事だって少なくはない。
なもんだから、必然的に俺の部屋の本棚は横文字がズラリと並ぶ世界となっていた。

あとついでに言うと、医学生という奴は勉強が大変だってイメージがあるが、俺の場合だと期末試験の時なんぞは試対[しけたい]……有志の学生が過去問とか教授連中から聞き出してきた出題箇所とかを纏め上げたりしている試験対策委員会とかのお世話になって要領よくやってきたお陰で、特に再試なんかに引っかかる事もなく単位を取っていってた。
そして今は国試[こくし]……医師国家試験の勉強も始めている。

いつものように大学へと行って、いつものようにノルマをクリアして、やがて迎える卒試[そつし]と国試とを両方パスして医学部卒業………
俺は医師免許を手にして医者と名乗る事を許される事になる。……その筈、だった。

もうすぐ夏休みに入るというある日の朝、俺は胸の痛みを覚えた。
一時の事だけだったら…と思ってとりあえず横になって寝ることにした。
俺はいつものように近所の寺の鐘の音を時報代わりにして下宿の中で横になってた。
一日横になってりゃ治るだろうと……そうタカを括って。

しかしこの痛みは、何日もしつこく続き一向に引く気配がなかった。
この時点で俺は、もしかしたら……とは思った。何となくではあるが、悪い予感を覚えていた。
俺はただ単純に下宿から近いといった理由で、大学病院へと掛かる事にした。
あとついでに言えば俺は此処の医学生だから、時間の融通が利く……てな理由もあった。

ところが、検査って言ってもこれが一度や二度の話では済まなかった。あれやこれやと実に様々な検査を受けた……というか受けさせられた。

そうこうしているうちに色々と出てくる血液検査の数値とかX線写真とか何とかの所見は…………
俺の今の状態がどうなっているのか、否応なく現実のものとして突き付けていった。




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